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若みやマスター(通称 若マス) Profileっていうか生い立ち(笑) Part2


社会人編

プロ用写真機材専門商社
内神田にあった会社に面接、特に難しい試験とかもなく
数日後採用の連絡がありました。
同期は女子2人
会社側も男子営業を欲しいのに希望者は女性ばかりという事で
採用されたみたいです。(ラッキー!!)
営業部外販課の営業として社会人の仲間入り
担当は、個人カメラマン・レンタルスタジオ・再販店・大型量販店という感じでした。

取り扱い品目は非常に多く、フィルム、現像等の薬品からカメラ(大型・中型・小型)やスタジオ用大型ストロボ・照明機材・バック紙・細かいカメラ用のアクセサリーからスタジオ用の大型のアクセサリーまでものすごい数がありました。
再販店や大型量販店には、オリジナル商品である
ロールレフやパラソルホルダーを売っていました。
この商品で会社がわかる人はかなりのマニアか写真業界人です。
バブルの時期でもあって、独立する人が多く機材は売れる。
土地の活用にスタジオ作る人も多く、スタジオ用の大型機材も売れる。
本当に物のよく売れるときでした。
がワンマン社長と折り合いが悪くなり自社ビルを建てて段々会社も渋くなってきました。

広告写真制作会社の経営するレンタルスタジオ
営業先のレンタルスタジオ(港区南青山)を回っている時にそこのマネージャーが辞めて
別の会社でレンタルスタジオを作るのに手を貸す事になったと言う話が出ました。
台東区上野桜木にある広告写真制作会社が(そこにはレンタルスタジオもあったのですが)

新しく中央区築地にレンタルスタジオを作るという事らしく今いる人員は今まで世話になっている事もあり部下として連れてはいけないが、現状あるレンタルスタジオも管理するのに味方になる人間が欲しいという事でした。
今、給料いくら貰っている?みたいなやり取りで渋い現状の会社から転職する事になりました。
築地には広告代理店や出版社が多くあり交通の便からも撮影するのに使うスタジオとして比較的重宝されていました。
しかし時代はバブルの弾けた時期、段々と広告に掛けるお金や制作に掛けるお金が渋くなってくると、スタジオに空いている時間が多くなってきました。
ある、ボーナスの日・・・・・。
景気が悪くなっているのは毎日マネージャーとして数字を扱っている自分にはわかっていたので満額出るとは当然思ってはいませんでしたが少しは出るだろうと・・・・・。
その考えは甘かったらしく「君は管理職だからボーナスはない。」って当日に
言われました。
出ないなら出ないで管理職扱いなら言ってよみたいな・・・・・。
という訳で辞める事にしました。

初心者歓迎和風レストラン
父親の体調も芳しくない時期だったので実家の漬物屋を手伝おうかなと思ったのですが
そんなに「我慢足らずで会社を辞める奴には勤まらんから他探せ」と言われ
意地になったオイラが何をしようか迷い、将来一国一城の主になるにはどうするべきかを考えました。
出た答えは飲食関係・・・・。
物を作りお客様の感謝の顔が直接伝わってくる仕事かなぁ・・・・・。
求人雑誌で「包丁の持ち方から教えます。初心者大歓迎」みたいな書き方をしている和風レストラン(
板橋区大山)がありました。
当時オイラは27歳、新しく始めるにはかなりつらい年齢です。
電話で連絡し面接に行くとそこは居酒屋でした。
和風レストランとは・・・・・。
面接で話していると時間的にもかなり書いてある条件とは違う。
しかし、親身になって給料の面で異例の条件を出してくれましたので
やってみなけりゃ始まらない。
お願いします。一生懸命働きます。雇ってください。という事を伝え採用されました。

働いてみたら周りは若い人ばかり、ほとんどの店の店長までも自分より若い・・・・。
社会に出て7年、相手に敬語を使うのは当たり前のオイラにはあまり苦ではなかったです。
上の人には、始まりが遅い分人より倍働かないと追い着かないよと言われ、誰よりも早く出社し、仕込み段取りを人の分までやっていました。
どこどこの店の人が休むからヘルプでどこへ行ってくれと言われれば行き便利に使われる人間になっていましたが、段々と休み等でヘルプが欲しい場面で各店長の方から名指しで指定されるという信用を得ました。
基本的には調理場なのですが池袋東口だけは、ホール要員としてとことん接客を叩き込まれ
調理+接客の教育を受けました。
ところがその頃、気が短いというオイラの短所が目立ち始めすぐ切れると悪評も出る事になってしまいました。
ただ、居酒屋も景気の影響を受け売上も下降線、条件の悪くなった上の人達は見切りをつけ辞めていく人が目立っていた頃、池袋東口、池袋西口とあっちこっち行きながら、池袋西口に固定という時期が来ました。
しばらく経つとやはり上の人もワンステップ上を目指すということで辞める事になった時に異例の大抜擢、さすがに先輩方々の事もあり店長には出来ないと言われながらも代理として西口の店を任される事になりました。
しかし、短気なオイラは下の人間を追い詰め辞めさせる事も多々あり、アルバイトもどんどん辞めさせてしまいました。
社長からもう一緒に働く人間がいないと50数名入る店の調理場を一人でやれと言われピーク時だけは手伝い来るからと社長と一緒に働くというキツイお灸をすえられました。
この事はオイラの意識改革だったのでしょうがおかげでオイラを丸くしたのだと思います。
みんなと何とか働けるようになりしばらく経ったある日、自分も辞めるきっかけが出来てしまいました。

浅間通り道路拡張計画
道路拡張計画に貸し店舗側が引っかかりました。
取り壊して建物を建てる時次はどうするかと父親と話しました。
また貸すか、お前が店やるか?
答えは・・・・・・。
やります。やらせて下さい。お願いします。
ちょっと早過ぎた感がありましたがタイミングを逃すとどうなるのか先が読めない状況でしたので、思い切って頼んでみました。
そこからが大変でした。
店を始めるには準備が掛かる。
設計から色々な指定、メニュー、仕入先・・・・。
とてもじゃないが時間が足りないという事で働いている店を辞めました。
辞めた事を報告すると早過ぎる収入はどうするのか?と聞かれ都合のいい仕事を見付けました。
制服があり夜の仕事で昼間時間が取れある程度給料のいい仕事
そう、警備員です。
夜中に道路で誘導灯を振っていました。
施設警備もしました。
準備も進み、そろそろ勘を取り戻さなければと思い今度は江古田にある大型チェーン店の居酒屋でアルバイトを始めました。
店長に無理言って週のほとんどを通しで働けるようにしてもらい、主にホールに出ていました。
江古田の大型店の状況を把握して生かせる部分を見付けるのがねらい。
小さい所は何度か飲み行けば理解出来るが大型店は不明な点が多く勉強兼ねて身体も馴染ませるのに都合が良かったので・・・・・。

1999年8月27日 「居酒屋 若みや」オープン
しかしオープンぎりぎりまで超バタバタ状態
メニューも少なくぎりぎり
ガス工事、エアコン取り付け、電話工事もギリギリ
ビールサーバーの不都合も当日勃発
でも何とか開けられました。
事前に大々的にPRしていたら大失敗をしていたでしょう・・・・。
気が付いたら店がオープンしていた。みたいな感じがした方が多かったと思います。
オープン数日は知り合い、身内とたまたま入ったお客様だけとつつましく開店し
当時定休日の水曜日に休み、色々な点を反省しやり直すべき点を直し
現在にいたっております。

長々と読んで頂きました方、ありがとうございます。
今後ともお客様の為に頑張って行くつもりですので宜しくお願いいたします。

居酒屋 若みや
宮本 了

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江古田の居酒屋 若みや
33-1, Sakae-chou, Nerima-ku, Tokyo, Japan
〒176-0006 東京都練馬区栄町33-1
Tel. 03-3948-8989 (Domestic) +81-3-3948-8989 (Int'l)
URL: http://www.wakamiya.net/
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